WBCムエタイ日本スーパーフェザー級(58.97kg)タイトルマッチ 3分5回戦
葵 拳士郎(王者/マイウェイジム/JAPAN KICKBOXING INNOVATION/元INNOVATION日本スーパーフェザー級王者)
山浦 俊一(挑戦者1位/新興ムエタイジム/ニュージャパンキックボクシング連盟/NJKFスーパーフェザー級王者)
山浦俊一インタビュー
取材・文:JAPAN KICKBOXING INNOVATION広報部
——今回のインタビューにあたり山浦選手の経歴を調べさせていただいたところ、那須川天心選手や石井一成選手など今を時めくトップファイターたちがひしめいていた伝説的なアマチュア黄金時代(※1)で彼らと並んで活躍されていたあの山浦兄弟だと知り、不勉強恐縮ながら驚きました。
弟の翔(※2)は、今、選手をやめてしまったんですけど、天心選手や武居由樹選手とは何回も対戦していましたね。
——強豪兄弟として有名でした。
福田海斗選手や平本蓮選手とかえらいメンバー揃いでしたからね。
——その主流に乗っていただけに相当の経歴です。
国際ジュニア(国際キックボクシング・文化振興協会認定タイトル)の初代チャンピオンの同期が志朗選手や伊藤紗弥選手ですし、思い返せば光栄なことです。
——そんなスターたちが大活躍しはじめた数年前、山浦選手のお名前が聞こえなかったのは?
空白の5年間です。17歳から22歳まで試合も練習もできませんでした。
——……アスリートとして最も重要な時期と思われる時期に5年も?
色々ありましたが、現在所属する新興ムエタイジム、坂上顕二会長(NJKF理事長兼任)にお世話になり、2017年10月1日の大輔戦(判定勝ち)で復帰して、昨年(2019年9月22日)、同じ大輔選手の持つNJKFスーパーフェザー級王座に挑戦して(判定勝ちで)ベルトを巻くことができました。
——5年間の停滞からの復活、感激もひとしおだったのでは?
そうですね。やめたくてやめたのではなかったので、悔しさが凄かっただけに。
——そんな波乱の半生ドラマをダイジェストでお聞かせください。お生まれと家族構成は?
四人兄弟の長男で、翔が次男、その下に妹が二人です。神奈川県海老名市で生まれ育ちました。
——キックボクシング、格闘技は幼少時から?
いえ、小六からなので早くはないです。弟と共にヤンチャ過ぎて、父から「そんなに力が余っているなら」と谷山ジムに叩き込まれたのが始まりです。
——それまで格闘技とは縁がなかった?
“闘う”ことが好きだったので、K-1とかテレビで見ていました。そこ頃から魔裟斗やヘビー級ではなく「ブアカーオの蹴りすげえ!」といった感じでしたから、後にムエタイを学ぶ根っこはあったのかもしれません。
——谷山ジムといえば、一流のタイ人トレーナーが常駐し、城戸康裕選手や駿太選手などスター選手を輩出し続ける名門です。
城戸さんや駿太さん、俊樹さん(谷山俊樹)などには可愛がられました。特にノップ先生(ノッパデッソーン/※3)にはムエタイのいろはを教わりました。
——首相撲の技巧に定評のある山浦選手ですが、その頃からムエタイには傾倒されていた?
ノップ先生のおられたバンコクのチューワッタナジムに住み込み練習したり、東京のムエタイジムにも寄宿したり、それこそ中学校に行くのもそっちのけでムエタイづくめの十代中頃でした。
——アマチュア大会で数々の栄冠を勝ち取りながらプロへの希望は?
中学生時分から「プロでやっていく!」とは決めていました。特にその頃、お世話になっていたB-FAMILY NEOのユウスケさん(ユウ・ウォーワンチャイ/大田原友亮)が史上最年少でチャンピオン(UKFインターナショナルフライ級王座)になったこととか刺激になって、中3の11月にプロデビューしました。
——そこからトントン拍子に選手として階段を昇って行った?
青春を懸けていましたからそれなりに。
——思い出の試合は?
2011年7月31日のエッガラート戦ですね。初代WINDY Super Fightバンタム級王座決定戦、TKOで負けてしまったのですが、あれはいまだに悔しいです。その3週間前に沖縄で邦博選手との試合も印象深いです。当時、自分が4戦4勝で向こうが8戦8勝で無敗対決でした。あれは延長判定負けながら本戦で勝ったと思ったのも含めて。
——そんなムエタイの青春がいきなり中断してしまったのは?
なんということもない誤解から発生した諍いが原因ですが、これはもう解決しましたし、詳しく話す必要はないでしょう。
——その中断の間に練習は?
一切せずに仕事に集中しました。それから結婚して、二人の娘も授かって、とても充実した生活をしていました。
——それが突然の復活を果たすのは?
娘たちです。まだ小さなうちに「かっこいいお父さんを見せておきたいな」と。
——そして、見事、NJKFチャンピオンとなったわけですね。
そうなんですが、あのタイトルマッチは大阪で娘たちは観戦していないので、目の前でチャンピオンベルトを巻いて一緒にリング上で写真を撮るという夢はまだこれからです。
——それはまさに今回のWBCムエタイ日本王座へ挑戦する今回実現可能ではないですか?
はい、ですからモチベーションは満点です!
——そんな意気込み高い試合、王者の葵拳士郎選手の印象は?
試合動画を1度しか見ない方針なので、どんなタイプかなど細かい研究はしていません。「右構えで蹴りが走るなあ」くらいなものです。それが次のリングで変化するとも限りませんし、ムエタイ式で実際の試合最中に分析します。
——その上でどんな勝利をされますか?
無謀に打ち合ってKO勝ちを狙うようなことはしません。完封勝ちが理想です。首相撲からのヒジ打ちやヒザ蹴りを駆使したムエタイならではの持ち味を活かして、チャンピオンの心を折りたいなと。
——定番のKO宣言などはされない?
相手の動きを完全に封じた上で結果KOやTKOになることはあるでしょう。けれど、一番大切なのは、相手の心が折れるほどの技術的圧倒です。
——そんな圧勝をされた日には、来年、山浦選手の飛躍が楽しみとなりそうです。
コロナは最大限に気をつけなくてはなりませんが、来年早々に次の話もありますから、まずはここでベルトを増やして娘たちに自慢しつつ、もっともっと凄いお父さんになってみせますので、皆さんもお楽しみに!
※1 アマチュア黄金時代 90年代後半生まれで現在トップクラスのキックボクサーは、アマチュアジュニア時代、藤原杯、M-1、WINDYなどのムエタイ系(首相撲ありルール)で那須川天心、石井一成、福田海斗、平本蓮などがしのぎを削り、凄まじいレベルの攻防を繰り広げていた。そのハイレベルは、史上最高と断言できる。
※2 翔 山浦俊一の実弟、山浦翔は、アマ時代、前述のアマ黄金時代、第一線で活躍し、那須川天心と幾度も対戦し、武居由樹には勝ち越している強豪だった。元NJKF スーパーバンタム級 4位。現在はリタイア。
※3 ノッパデッソーン ラジャダムナンスタジアム二階級制覇王者でムエタイ重量級を代表する名選手、ノッパデッソーン・チューワッタナは、指導者として長らく日本に滞在し、トレーナーのみならずレフェリーなどで現在も活躍中。
山浦俊一のプロフィール
リングネーム:山浦 俊一
フリガナ:ヤマウラ・トシカズ
所属:新興ムエタイジム/JAPAN KICKBOXING INNOVATION
生年月日:1995年10月5日(25歳)
出身地;神奈川県海老名市
出身地:165cm
戦型:オーソドックス
プロデビュー:2010年11月7日
戦績:23戦13勝(2KO)8敗2分
ステータス:NJKFスーパーフェザー級王者、WBCムエタイ日本スーパーフェザー級1位、