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2020/12/21(月)小磯哲史インタビュー(12月27日興行「CHAMPIONS CARNIVAL 2020」)

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第6試合 スーパーファイト 64kg契約 3分3回戦
橋本 悟(橋本道場/JAPAN KICKBOXING INNOVATION/INNOVATIONスーパーライト級王者、MuayThaiOpenスーパーライト級王者)
小磯 哲史(テッサイジム/J-NETWORKライト級王者、蹴拳スーパーフェザー級王者)

小磯哲史インタビュー

取材・文:JAPAN KICKBOXING INNOVATION広報部

——RIZINで白鳥大珠選手とダウンの奪い合いをしてみせたウザ強ヨシヤ選手や人柄丸出しの存在感で前座の人気者だった原島モルモット佑治選手などリングネームもさることながら独特な個性派集団「テッサイジム」を率いる小磯会長が自ら出陣、名うての強豪、橋本悟と対戦となれば見所満載ではないでしょうか?

今まで40歳半ばでタイトルマッチをやらせていただいて二本のベルトを巻くこともできましたけれど、悟選手となれば、ファイター人生最大のビッグネーム。もうワクワクしかありません!

——47歳でこのステージに立つ鉄人ぶりも見事ですが、プロキャリア20年以上の小磯選手をして生涯最大の相手とは。

駆け引きなしのハードヒッターとのどつきあいも楽しみですが、自分にとっては“橋本道場”ってブランドが魅力的で。

——90年代初頭、フルコンタクト空手からキックボクシングに至るまで無数の名王者を輩出し続けてきた橋本道場は、確かに押しも押されぬ大名門です。

自分のジムを立ち上げて、死に物狂いで運営して、これ一本(ジム経営のみ)で食っているキックボクシング者として、橋本道場の金看板は眩し過ぎです。そのエッセンスを直接味わえるのですから、こんな機会は二度とないかもしれません。

——試合をすること時代に感激するのは結構ですが、肝心の勝算は?

今の僕の100パーセントで当たれば、向こうが100パーセントでも上回れる自信があります。

——その根拠は?

自分なんて長くキックをやっていてもまだまだ呆れるくらい下手くそで、けど、その分、伸びしろだらけ。それがこの1年で加速して成長してる実感があるからです。

——新型コロナウィルスの災禍で試合がほとんどできなかったこの1年で?

だからこそ、かもしれません。風がこちらの追い風になっているのを感じます。それと何より“気持ち”ですね?

——それを詳しく。

タイトルマッチをやらせていただいた時は、とにかくベルトを巻きたくて「勝たなきゃ」って気持ちが最優先で、観客無視にポイントを獲りにいった部分があったと思います。それが今回、王座戦でもないワンマッチ、つまりは決闘。「どちらが先に倒すんだ?」って男と男の勝負ならいけるなと。

——強打者の橋本選手と正面激突する?

それはやってみないとわからない部分もあります。それにしてもお互い巧く立ち回ってテクニックに走れないタイプということではシンパシーがありますし、似ている部分も多いと思っているんです。

——橋本選手は、エリート揃いの橋本道場の中で雑草魂を持つ苦労人。相手はチャンピオンクラスばかりだとはいえ、現在、3連敗中。過去には5連敗も経験しています。そこからしてかなり激しくモチベーションを燃やしている様子が伺えます。

5連敗? 自分なんか28歳から38歳の10年間、引き分けが少しはあろうとまったく勝てなかったことがありました。てんでお笑い種。まだまだですね。

——そんな小磯選手の半生、大いに興味をそそられます。是非、この機会、幼少期から現在をお聞かせください。生まれ育ちは?

川崎です。

——格闘技好きでも有名な人気ヒップホップグループ、BAD HOPのリリック(歌詞)で「川崎区で有名になりたきゃ、人殺すかラッパーになるかだ」とある、あの川崎?

はははっ、高校は9割ヤンキーみたいなとこでしたけど、僕はそっち系皆無です。

——逆に品行方正?

小っちゃな頃は、人見知りでイジメられたりもしていました。けど、負けず嫌いは昔からで、4才のある日、爆発したらイジメっ子に勝っちゃって、以降、小2でバイキン呼ばわりされて爆発、みたいなことを繰り返して学生自分はガキ大将ではありました。

——それでもヤンキーにはならなかった?

バンド始めて、そっちが本気本命。メタリカとか演る長髪ヘビメタで校内じゃ浮いてましたね。

——スポーツ歴や格闘技の携わりは?

サッカーや野球をやったりしてましたけど、どれも深くはなくて、格闘技は、とにかくマイク・タイソンに憧れて、友人と「プロレスラーとタイソンが戦ったら?」なんて想像論議で白熱してましたね。ずっと空手をやりたかったんだけど、親が許してくれなくて。

——ガキ大将に格闘技を身に着けさせるのは、ご両親も心配だった?

キチ●イに刃物みたいな(笑)。けど、やりたい気持ちはずっとどっかに持ち続けてました。

——それが叶うのは?

夜間大学に行きながらバンドに夢中のままの22歳、下北(バンド活動のメッカ)で山木ジムを見つけて嬉しくなって。

——そこからキックボクシングライフに突入?

いやあ、いきなりプロを目指すテンションなんかじゃなくって、タバコふかしてバンドライフが優先、ずばり堕落生活の真っ只中。川崎から週一程度のジム通いでキックは娯楽のひとつでした。

——それが本気になるのは?

さぼりがちの適当練習生だから試合をしたくても会長から「まだまだオメーなんかにできねーよ!」って言われながらMA(マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟)の山梨アマ大会に出させてもらって、そっから勝ったり負けたりしつつ、26歳でプロになって、そうしているうちに本気度が徐々に上がっていった感じで。

——そこから20年以上、結果、キックが人生の大半を占めるに至るのは尋常ではありません。

プロ2勝2敗から負けが込んできて「クソっ、このままで終われるか!」って意地が先に立って、仕事が忙しくても変わっても結婚しても「次の一戦、勝てれば」と気が付けば10年負けっぱなし。その間、山木ジムから侍塾、小鉄組、ジャンジラジムって所属も変わって、2012年に独立して我がテッサイジムを創設して、今、こうしていると。

——20年以上をダイジェスト過ぎです。

山木ジムで兄貴分としてついていった井上哲さん(元MA日本ライト級&スーパーライト級王者)の流れから牛越晋会長のジャンジラジムに移り、会長が若くして急逝したのをきっかけに世田谷区豪徳寺で良い物件に出会えて。ジムを背負うことでキックボクサー人生もがらりと変わりました。ジムをはじめて無職になって、けど子供が生まれて。だから息子とジムは同い年なんです。

——ジムと息子さんのご関係は微笑ましいですが、家族が増えると同時に仕事を辞めてまでジムを始める無鉄砲さにロックを感じます。ところで、出身母体、山木ジムは、ムエタイへの造詣が深い大家ですが、ジム名のテッサイ(タイ語で左ミドルキック)は、ムエタイへのこだわり故の命名?

いえ、語感と言うかインスピレーションです。自分はオーソドックスでパンチ主体でもあり、特に左ミドルが強いでもありません(笑)。

——自分のジムを持ち運営する中で選手活動をより盛り上げて戴冠するといった流れは、ReBORN経堂のテープジュン・サイチャーン選手(齊藤淳会長)など稀少ながら人間力を感じさせるタイプです。

リボーンさんとサイチャーン会長ほどではないかもしれませんが、うちも選手育成とフィットネス会員へのサービスのバランスに気を使いつつなんとかやっています。

——ミクスドアップというか、ジム会長と選手が相乗効果になっていることは、理想であってもなかなかできることではありません。

けど、出口を見失った迷路みたいになってませんか?(笑) お陰様で20代、30代が負け越しだったのに、40台で勝ち越してきて、勝率五分が見えてきたような気もするのでますます。そして、一体、いつやめればいいのやら? 

——そういわれる割に橋本選手との試合を受諾するあたり何とも言えない反骨心も感じます。

ロックだ、パンクだ、ありますけど、ワクワクを忘れないでいればアラフィフだろうが強くなっちゃうんですよ。悟選手との勝負、皆さんにもご堪能いただければ。まぁ、自分が一番楽しみなんですけどね!(笑)

小磯哲史のプロフィール

リングネーム:小磯 哲史
フリガナ:コイソ・テツシ
所属:テッサイジム
生年月日:1973年8月8日(47歳)
出身地;神奈川県川崎市
身長:173cm
戦型:オーソドックス
プロデビュー:2000年(26歳)
戦績:46戦16勝(6KO)25敗5分
ステータス:J-NETWORKライト級王者、蹴拳スーパーフェザー級王者
所属ジム公式サイト:http://tessaigym.sakura.ne.jp/